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歌舞伎がデジタルを包み込んだ日~ニコニコ超会議2016で『超歌舞伎 今昔饗宴千本桜』を見てきた

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ニコニコ超会議 今昔饗宴千本桜
 4月30日に、幕張メッセで行われたニコニコ超会議に行ってきた。
 そこで、中村獅童×初音ミクによる『超歌舞伎 今昔饗宴千本桜(はなくらべせんぼんさくら)』を観た。

舞台を見に行って大正解

 見ることができたのは、二日目30日の13時の回。通算4回目の舞台である。
 初日29日の2回目の舞台を生放送で見たのだが、想像以上のできあがりにこの目で舞台を見なくては、と思った。芝居の真価は、空間を共有する
 結果的に、見に行って大正解だった。
 生中継は、工夫されたカメラワークやARを活用することで、会場の雰囲気をよく伝えていたと思う。
 だが、ステージ全体を使った役者の演技と、初音ミクの映像との違和感ない連携、次第に前のめりになっていく観客席の勢いなどは、ディスプレイには収まりきれるわけがない(VRの時代が到来すれば、もっとすごい体験ができると思うけれど)。
 また、確実に観客が学習してきているのが実感できたのもよかった。大向こうなど揃ってきていてちゃんと盛り上がるし、「今だ、せーの」で始まる生放送参加組のコメント弾幕は痛快至極だ。
 中村獅童が信忠の扮装であおりまくるラストの『千本桜』ライブもいい。劇中、『千本桜』のメロディが何度も流れるが、ミクの歌う『千本桜』はここだけしか使われない。この渇望観が「待ってました」的に観客の心を引っ張り上げ、役者と観客の共感をこれでもかとばかりに盛り上げる。このお祭り演出は大成功だったと思う。
 1時間あまりの舞台に、エンターテインメントの可能性が詰め込まれていた。これまで体験したことのない感覚だ。
 正直に言って驚愕、大満足のステージだった。

歌舞伎知らずの感じた歌舞伎の力

 私も含めて、歌舞伎をよく知らない人の多くは、歌舞伎の持つエンターテインメント性とその力強さに驚かされたと思う。
 歌舞伎役者の肉体が放つパワー、観客の目を釘付けにする表情や動き、歴史の中で磨かれて極めて簡略化されながら観る者の想像力を刺激せずにはおかないギミックの迫力。
 文句無しに見応えがあった。
 特に、忠信と青龍のバトルシーンなど、歌舞伎を見慣れていない私には、驚愕の体験だった。面白い。信忠が龍の背中に乗っているシーンを梯子で再現するところなど戦慄した。バトルシーンがちゃんと見えてくる。
 そんなリアルの極地にある芸が、正反対の存在である肉体を持たない初音ミクと融合しても、何の違和感もなく、融け合って一つの世界としてまとまっているのはさらに驚いた。
 歌舞伎役者が真剣に演技をすればするほど、ミクとの間に溝ができても不思議ではない。それがうまく融合し、一つのものになっている。
 確かに、ミクの声は役者の鍛え上げられた声と比べるとか細い(存在している世界そのものが違うのだから、これは仕方ない)。
 ミクの口上の際、よくここまで自然にセリフを言えるようになったね、と感動した私ですらが、中村獅童とのかけあいとなると若干の違和感を感じた。だが、それも最初だけのこと。すぐに気にならなくなり、芝居に没入することができた。

歌舞伎が初音ミクを包み込んだ日

 この日の舞台は、歌舞伎とデジタル・ヴァーチャルな世界が、双方歩み寄って生み出されたものだ。
 だが、歩み寄っただけでは、この日の舞台のように融け合うことはできない。
 手柄は、大きく足を踏み出して、初音ミクを暖かく包み込んだ歌舞伎にあるように思う。それこそが成功の鍵だったと。
 確かに、芝居の根幹は歌舞伎だっだ。だが、歌舞伎の舞台に初音ミクを上げるのではなく、初音ミクが違和感なく立っていることのできる世界を作り上げた。こんなことができる歌舞伎の懐の太さに、私は深く感じ入った。
 心底、大衆芸能から生まれ、長い歴史の中で磨かれてきた歌舞伎。やはりただものではない。
 それと、機会があったら歌舞伎座に行ってみようか、と思った。きっとすぐには行かないとは思うが、関心を持つオヤジを一人作ったことは確か。
 大成功だと思ってくれるとうれしいのだけれど。

 それにしても、これだけの公園を4回、無料で見せてしまう『ニコニコ超会議』には本当にあきれた。
 一体、何を考えているのか。

  • この記事を書いた人
永才 力丸

永才 力丸(えいさい・りきまる)

ライター、編集者。音楽雑誌、パソコン雑誌、ゲーム攻略本の企画編集を経て、直近は、ゲームシナリオ、イベント企画構成も行う。自称、日本一、乙女ゲームに造詣が深いおやじ。

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