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【1971年】年末になると思い出す!尾崎紀世彦の名曲『また逢う日まで』の謎

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 年の瀬になると、なぜか口をついて出る歌。それが尾崎紀世彦の『また逢う日まで』。
 『また逢う日まで』は歌手尾崎紀世彦の楽曲で、作詞阿久悠、作曲筒見京平、というヒットメーカーによる大ヒット作品。
 おそらく、当時華やかだった年末の歌謡賞レース、レコード大賞や歌謡大賞を総なめにしていた尾崎紀世彦の”もみあげ”が、小学生だった僕にとってかなりインパクトがあったからだろう。


また逢う日まで

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「二人でドアをしめて~」の歌詞に隠された謎

 この曲の歌詞は、私にとって長い間、謎だった。
 それがある時、夏の炎天下に氷を放り出したように、一瞬にして解けた。極めて個人的な話だが、自分にとってはけっこう衝撃的な発見だったので書き記す。
 『また逢う日まで』が発表されたのが1971年。『クレヨンしんちゃん』の映画にも取り上げられた大阪万国博覧会の翌年で、歌謡曲では、ほかに小柳ルミ子のデビュー曲『わたしの城下町』が大ヒットしていた(どんな紹介だ)。
 尾崎紀世彦にとっては、ソロ二枚目のシングルで大ヒット。売上枚数は4月に発売された『わたしの城下町』の方が上だったと記憶しているが、その年のレコード大賞、歌謡大賞をダブル受賞したという昭和の大ヒット曲のひとつだ。
 平成生まれの私の子供たちも、あの印象的な前奏と、「ふたりで~」のあたりは聞き覚えがあるという、時代を超えたパワーを持つ曲だ。
 この時、私は小学校5年生の子供だったが(年齢がわかりますね)この曲は大好きだった。あまり歌謡曲を聴かない親父さえ「いい曲だよな」と言っていたのを思いだす。
 とにかくスケールが大きい曲で、尾崎紀世彦のもみあげもなんかすごかったし、何より歌が大迫力だった。
 ただ、歌詞の意味がよくわからなかった。
 登場人物たち、おそらく男女だと思うが(同性でももちろんよい)別れ別れになるのでとてもツライらしい、というところまではわかった。
 そして、二人で家を出ようとして、外出するとき鍵をしめる家なんてない、という田舎に住んでいた私だが、ドアに鍵をかけようとることぐらいは理解できた。
 まったくわからなかったのは、その先だ。次のフレーズ「二人で名前けして~」。
 名前を消すとはどういうことだ。
 親父に聞いたが「わからん」と言われた。わかったのかもしれないが、おそらく、しっかり考えるのが面倒くさかったのだろう。そういう人だ。
 友人に聞いても意味が分からない。
 漠然と、何か子供の私には理解できない何かの例え話だろう、それは悲しみをごまかそうとしている行為なのだろう、と考えて、納得することにしたのだ。
 歌詞の意味が十分わからなくても、『また逢う日まで』が名曲であることには間違いない。そんな曲、子供の周囲にはたくさんあった。『ブルーシャトウ』なんて、歌詞の世界のすべてが謎だった。
 思春期を迎えようとしていた私には、そんな疑問はささいなこと。とりあえず納得したら、胸の奥に沈んで、10年以上浮かび上がることはなかった。

公団住宅のリビングで突然解けた謎

 僕は妻と結婚してしばらくした頃。13階建ての公団住宅の12階にいた頃だから、おそらく28歳くらいだった。
 『また逢う日まで』を最初から聞いてから17~18年の時が流れていた。
 歌番組で、久しぶりに『また逢う日まで』た。
 その時、まるで神からの信託のように、疑問だった『歌詞を消す』意味が解けた。
 おそらく、公団の団地に住んでいたから気付いたのだ。
 表札なのだ。しかも、木やプラスチックを削ったものではなく、マジックペンで名前を書けるタイプの表札。
 それを二人で、雑巾かなにかで拭いて消したのだ。
 二人で部屋を引き払う瞬間の悲しみを、二人で行う最後の共同作業として、マジックで消す行為で表現したのだ。
 長年の謎がとけて、深い満足感に包まれたことをよく覚えている。
 だが、その後、別の感慨が湧いてきた。
 『ゴッドファーザー 愛のテーマ』を歌い上げるゴージャスで優雅な尾崎紀世彦のボーカルから、何かイタリア風のおしゃれな一戸建てとかアパルトマン(この”マン”が大事)を想像していたが、なんかとても日本的なアパートが浮かんできてしまった。
 それともイタリアにもあるのか? マジックで書くタイプの表札が。
 いた、きっと違う。舞台は日本だ。少なくとも僕はそう思う。
 1970年代前半の若い二人には、なんとなく幸薄い感じがただよっていた。
 かぐや姫の『神田川』や『赤ちょうちん』に代表される、二人で暮らす若い男女は、裸電球の狭いアパートで肩を寄せ合って暮らしていて、なんか暗いイメージがあったけれど、『また逢う日まで』の二人は違うと思っていた。
 でも、『また逢う日まで』の登場人物たちは、『神田川』や『同棲時代』と同世代の人たちだったんだ(ちなみに『神田川』『同棲時代』は翌々年の1973年のヒット)。
 窓の下には神田川、だったのかもしれない。神田川は東京中を流れているから。僕が大学生だったときに住んでいた四畳半のアパートの近くにも流れていた。
 安保闘争の渦に身を投げても回天の志叶わず、疲れて身を寄せ合っていた若者たちの別れを、大作詞家阿久悠の腕と、筒美京平のメロディの腕で、とってもおしゃれで、異国情緒あふれる1シーンに昇華させた。
 実際は違うのかもしれないけれど、僕はそう思った。そう思ったら、余計この曲が好きになった。
 今でも、この歌を聴くと、そんなイメージが浮かんで来てラテン系のしゃれ者に見える二人が、実は何も持たずに都会の砂漠に足を踏み出そうとしている等身大の男女に見えてきて、とても愛おしくなるのである。

 蛇足だが、小学校5年の時、もちろん経験も乏しいわけだが、まったく検討がつかなかった理由は別にあると思っている。
 隣の家が50メートルや100メートル離れているのは当たり前の農村。
 でかい家に大家族で住んでいるのが当たり前。風呂が五右衛門風呂のところも少なくなかった。
 要するに、トトロに出てくる古い農家みたいなのが、そこかしこにあったわけだ。
 確かに、玄関にはマジックで書くタイプの表札があって、大人の名前が数人(おそらく世帯主、妻、じいさん、ばあさんあたりだろう)書かれていた。
 だけど、それが別れのシーンに出てくるアイテムと繋がるなんて夢にも思わなかった。だって、ぜんぜんロマンティックじゃない。当時の僕が連想できるわけがなかったのだ。


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 『ゴッドファーザー』はもちろん、『さよならをもう一度』『しのび逢い』『五月のバラ』などは名曲。
 尾崎紀世彦に思い入れがあって、聴いたことがないなら、一聴の価値あり。
 個人的な一押しは『愛する人はひとり』。アップテンポでサビに向かって軽快に駆け上がっていく哀愁を帯びたメロディは、とても気持ちがいい。一時は、カラオケの十八番曲でした。

トップ写真:(c)2015,リキマルラボ ※スタッフが撮影

  • この記事を書いた人
善木 克典

yoshiki

何でも屋。エレクトロニクス専門誌、パソコン雑誌編集者を経て、ゲームメーカーで企画・宣伝に従事。自称小粒な経営コンサルタント。

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