1960年代から70年代、星新一、小松左京、光瀬龍、筒井康隆、半村良らの活躍で華開いた日本SF。あの頃、胸を躍らせた作品が、今なら電子書籍で気軽に読むことができる。
いつの間にやら、タブレットの中は往年のSF作品(kindl版)で一杯になってしまった。
電子書籍でも「積ん読」と言うのだろうか?
目次
運命的な出会いをした小松左京作品
小牧左京作品に出会ったのは、中学生一年生の時である。
当時、私が住んでいた田舎町には一軒しか本屋がなかった。しかも、洋品店の一角に雑誌と本が並んでいるような中途半端な本屋だった。
ある冬の夕方、私は偶然その本屋に入った。バレーボール部だった私は、特に本を読む習慣もなかったから「少年ジャンプ」か妹が愛読していた「りぼん」でも探しに行ったのだろう。
するとそこには、同級生がいた。大人びた感じのする男で話くらいはする関係だったが、特に仲良くもなかった。思いもよらぬ出会いに戸惑いならが「よお」と声をかけあった。そして、ちょっとビビった。
なんと彼は、文庫を立ち読みしていたのだ。しかも、文字がぎっしり、イラストもないようなぶ厚い本。
それが、刊行が始まったばかりの早川書房の日本作家専門の文庫「ハヤカワ文庫JA」の第一回配本『果てしなき流れの果てに』だった。
もちろん、そのときの私はそんなことは知らない。むちゃくちゃ差をつけられたようで落ち着かない気分だった。
彼がふと「お前も読んで見ろよ。面白いぞ」と言った。
おそらく私は、彼に張り合いたかったのだろう。なけなしの金で買い込み、もったいないので読んで見た。
生まれて初めて買った挿絵のない文字だけの本。正直よくわからないところも多かったが、新しい世界に触れた瞬間だった。そこから、小松左京に首までどっぷりはまって、むさぼるように読み始めた。
私が本を読むようになったきっかけは、あの冬の日の出会いと小松左京だった。
電子書籍で読める小松左京作品【長編】
小松左京の長編には、題材のかぶりがほとんどない。毎回、新しい視点、新しいビジョンを、私に示してくれていた。まるで道しるべのようだった。
主要長編はほとんど電子書籍で読める。よい時代になったものである。
復活の日
生物化学兵器を載せた小型機がアルプス山中に墜落。それが、人類滅亡へのカウントダウンの始まりだった。春の雪解けとともに世界各地で奇妙な死亡事故が発生し、日本では新種の流感が猛威をふるい死亡率が急上昇。瞬く間に、人類は一握りを残して滅亡してしまった。そして、生き残った人々に、更なる危機が迫る。絶望の中で、一人の日本人研究者が立ち上がった――! 絶滅の危機に瀕する人類に、明日はくるのか?(amazon 内容紹介より引用)
角川で映画化もされたパンデミックものの古典。主演は、大河ドラマで真田昌幸役が大評判の草刈正雄。
1964年に書かれた小説なのに、今読んでも古くない。
潜水艦から誰一人いない東京を見るプロローグは本当にかっこいい。希望あるラストも感動的だ。
継ぐのは誰か?
「チャーリイを殺す」。世界各地の大学で奇妙な予告があいつぎ、しかも現実のものとなっていた。このヴァージニア大学でも、優秀な学生であるチャーリイが、研究中に高圧電流に感電してしまった。予告通り、彼は殺されたのだ! これは、極度に巨大化・複雑化したコンピュータ社会を密かに狙う新人類の出現なのか? 文明の最先端をよりどころとし、彼らは人類にとってかわるのだろうか?(amazon 内容紹介より引用)
大学構内で起こる不可解な殺人事件。物語はミステリー仕立てで始まるがテーマは新人類。
アニメでよくある「人類の革新」だが、それが人類にとってどういう意味のあるものか、人類はどう向き合うべきか、が語られていく。
新人類たちの能力、そして彼らの運命、ほろ苦い読後感が印象的だ。
キャンバスの描写がとても魅力的で、こういう大学に行ってみたいな、と本気で思っていた中学生の私。
果しなき流れの果に
巨大な剣竜や爬虫類がいた六千万年も前の中生代の岩層から、奇妙な砂時計が発見された。その砂は、いくら落ちても減らず、上から下へ間断なく砂がこぼれおちて、四次元の不思議な世界を作り出していた。常識では考えられない超科学的現象……! さらに不可解な事件が起きた。この出土品の発見場所の古墳へ出向いていた関係者が、次々と行方不明となり、変死を遂げてしまったのだ――。(amazon 内容紹介より引用)
この作品のあらすじは、内容についてほとんど語っていない。冒頭のプロローグに過ぎないからだ。
無理矢理圧縮すると、過去から未来、並行世界を渡り歩く追われる者と追う者の話。短編『地には平和を』で語られた「歴史をやり直す」をテーマに、壮大な物語が展開される。
頭の中にあるイメージが壮大すぎたのあろう。今読むと、説明不足だな、と感じるところや、若干尻すぼみのところもある。
だが、そのよくわからないところも含めて、中学生の私はガツんとやられたのだ。
美しいエピローグがとても感動的。
日本アパッチ族
戦後大阪に出没した、「アパッチ」。屑鉄泥棒から鉄を食う怪物「食鉄人種」に変貌した彼らは、やがて大阪の街から飛び出して、日本全国に広がり仲間を増やし、やがて日本政治をゆさぶるまでになっていく――。小松左京の処女長編にして最高傑作の呼び声高い記念碑的作品が、電子書籍で登場!(amazon 内容紹介より引用)
小松左京の処女長編。
太平洋戦争の記憶もまだ消えていない1960年前後の大阪を舞台に、鉄を食するアパッチ族が日本をひっくりかえす痛快なエンターテインメント。
高度経済成長という華やかさの影で映し出される社会のゆがみ。そんな時代性の中から生み出された作品だと思う。
今読むと、多少描写がくどいところもあるが、行間から立ち上る熱気はすごい。
明日泥棒
「コンツワ!」とそいつはいきなり、ぼくの背後から声をかけた。横浜の港が見える丘の上に、ひょっこり姿をあらわした、奇妙な日本語を喋る男。頭に古風な山高帽、モーニングの上着に小倉のはかまといういでたちで、名前をゴエモンと名乗った。その直後、日本全土からあらゆる音が消えてしまった――。ゴエモンとは何者なのか? ゴエモンを利用して世界を動かそうと企む人間達の思惑が絡み合い、事態は思わぬ方向へと転がり始める。(amazon 内容紹介より引用)
ゴエモンと名乗る宇宙人があまりに奇天烈なキャラなうえ、語り口が軽妙なので誤解されがちだが、現代文明への厳しい批評眼から生み出された作品。
ラストは今読んでもちょっとしたホラー。この後の地球がヤバい。
エスパイ
人の心を読み、遠くの出来事を察知する遠感(テレパシイ)や透視能力、意志の力で物体を動かす念動力(サイコキネシス)を持つ超能力者たちの諜報集団「エスパイ」。その一員であるタムラに、ソ連首相暗殺計画を未然に防げという緊急指令が下った。しかし、その任務はすでに何者かに嗅ぎつけられ、彼の乗ったジェット機には時限爆弾が仕掛けられていた。いったい「敵」は何者なのか!?(amazon 内容紹介より引用)
読んで字のごとく超能力を持つスパイたちの活躍を描く。舞台のほとんどが海外なのだが、作者は百科事典を駆使して描いたという。
コミカルでスピーディな展開、ちょっとおしゃれな雰囲気、小松左京作品の中でも特別な作品だと思う。
今読むと「よくある展開だね」となるかもしれないが(特にラスト)、当時は斬新だったのだ。1964年発表ですから(007『ゴールドフィンガー』がこの年公開)。ちょっと、『サイボーグ009』との関連性を感じる。
宇宙漂流
冥王星から500万キロ離れた宇宙灯台の緊急ブザーがけたたましく鳴った。巨大宇宙船が操縦不能におちいり、常識では考えられない光の30倍以上のスピードで、ジャンプを繰り返しながら突っ走っているのだ! 太陽系から何万光年も離れ、7人の子供たちを乗せたまま漂流を続ける「宇宙のよび声」号。食糧を食いつないでも、あといくらももたない。この原因不明の猛烈な宇宙船の推力の秘密は、いったい何だろう――?
少年向けに書かれたジュブナイル小説だが、少年少女だけを乗せた宇宙船がワープを繰り返しながら超高速で宇宙を突き進む、というスケールの大きな物語。小松左京版『十五少年漂流記』で、爽快感と希望のあるストーリーがいい。
「カチカチ山」や「浦島太郎」「金太郎」など、おなじみの昔話をモチーフに独特のひねりをきかせた「SF日本おとぎ話」を同時収録。
こちらニッポン・・・(上/下)
一昨晩おそく、泥酔して地下鉄の階段から転げ落ち、気を失ったようだ。やっと意識を取り戻すと、街が異様な様子に一変していた。市街のあちこちで、タクシーが電柱にぶつかってぐしゃぐしゃになり、無人となった住宅の密集地あたりでは、黒煙があがっている。大阪じゅうの人間が、僕ひとりを残して消えてしまったのだろうか? あらゆる都市の知人宅や会社に電話をかけまくったが、誰も出ない。緊張と興奮の連続でくたびれ果てていたとき、突然、電話のベルが鳴った――! 日本が空っぽになる異常事態。残されたわずかな人間たちは、極限状態をどう生き延びるのか?
『日本沈没』は、日本人から日本の大地を奪うとどうなるか、とうい作品だった。本作は日本の大地から日本人を奪うとどうなるか、というテーマの作品。この後、東京が消えたら、という設定で『首都消失』が書かれる。
1976年に朝日新聞に連載された作品で、やや文明批評的な面が強く物語が十分ジャンプしない。
物語よりシミュレーション重視になってしまったのか。壮大な設定だけに、もったいない作品。
私に小松左京の本を紹介してくれた男は、間もなく引っ越しすることになり転校した。
それ以来会っていない。やっぱり運命的な出会いだったんだな。