宝物のようなSF作品『火星の人』
原作『火星の人』(アンディ ウィアー)は、私のようなSF読みにとっては、宝物のような小説だった。
■火星の人 kindle版(早川書房)
なんじゃい、このタイトル。ハインライン『異星の客』のパロディか? それとも『老人と宇宙』みたいな感じか?
本屋で、ちょっとうさんくさげに手にとった私。あらすじを読んで小躍りした(amazonの内容紹介から引用。改行は筆者)。
だが、不運はそれだけで終わらない。火星を離脱する寸前、折れたアンテナがクルーのマーク・ワトニーを直撃、彼は砂嵐のなかへと姿を消した。
ところが――。奇跡的にマークは生きていた!?
不毛の赤い惑星に一人残された彼は限られた物資、自らの知識を駆使して生き延びていく。
21世紀に、この直球は一体何? アーサー・C・クラークですか、まったく。
思わず購入。手にとったときのときめきに裏切られることなく、大満足の一気読み本だった。
めでたく私の本棚の一番前、中断の「私的殿堂小説」ブロックに置かれる運びとなる(このブロックの本は火事の時に運びだす手はずになっている)。
何度となく絶望的な状況になっても、常に明るく前向きな主人公。彼を必死に地球に戻そうとする面々。科学的根拠をもとに詳細に描かれたでティール。胸が熱くなる時間を堪能できた。
解説を読むと、リドリー・スコット監督の手で映画化されるらしい。ずっと気になっていた。
公開が決定して、前評判も悪くないとなると、もういてもたってもいられない。
初日に見に行かなくてはなるまい! ということでさっそく行ってきた。
これでいいのだ! 映画と原作の理想の関係
とてもよい作品だった。
ダレ場もなく、最後まで楽しんで見ることができた。原作ファンも安心のできだった。
一番よいのは、映画全編が「生き延びよう」「帰ろう」「帰してやろう」という素直な気持ちにあふれていて、そこに向かって一直線に進むところ。
お偉いさんの妨害や、政府の陰謀、超自然的な力の助けなど余計なものが一切ない。
火星に残されたマークはもちろんだが、NASAの面々、後半に出て来る助け船の人々も、何のためらいもなくマーク救出作戦に突き進んでいく。
なんとさわやかな物語だろう。だから、鑑賞後の気分がとてもいい。
『アポロ13』と同じ構造なのだが、あっちは実話でこっちはフィクション。ポジティブパワーの質が違う。『アポロ13』が「よかったね~」で、『オデッセイ』は「やったぁー!」である。
テンポもいい。
トラブルが起こり、なんとか解決し、救出組との絆が強くなり、またトラブルが起こる。この黄金パターンの流れが心地よいのだ。2時間以上あるのに長さを感じさせない。
映画版では早々にマークの生存が確認され、火星側、地球側が並行して描かれる。
原作では、前半にマークのサバイバルがその科学的根拠とともにたっぷり描かれる。地球側が生存を確認するのは小説の後半。
この修正は映画化としては大正解だと思う。視点を変えることで流れに変化がついて、スリルある展開になった。
BGMにながれる往年のヒット曲も、かなりベタだがとてもいい。
マークの明るさをうまく引き立てている。船長の音楽の趣味ともつながっていて、映画のポジティブな雰囲気によく合っていると思った。
ドナ・サマー『ホットスタッフ』が流れるところは笑えるし、デヴィッド・ボウイ『スターマン』が流れるところは思わず泣けてくる。
『スターマン』のシーンについては、福山雅治もラジオで「泣けた」と言っていた。飛行機の中で観たらしい。
原作ファンとして、ちょっとおしいところ
惜しいのは(ないものねだりということは重々わかってはいるが)、原作でこれでもかとばかりに書かれているサバイバルと救出作戦のデティールがばっさりと切られていることだ。
上にも書いたように映画化に際しては必要な措置だと思う。だが、原作ではその細部がとてもおいしい部位なのだ。
火星探査計画やマークのサバイバルや地球側の奮闘が原作には詳細に書かれている。火星の大地の移動はピンチだらけだし、映画では脇役中の脇役であるNASAの広報担当にだって、原作の中ではちゃんと見せ場がある。
また、映画では「火星ってちょっと厳しいけど、うまくやれればけっこう快適そうじゃん」という感じだが、実際は違う。
死と隣合わせの毎日。そんな状況だから、マークのユーモアが効いてくるのだ。
こう書くと、映像化しやすいシーンを抜き出した「あらすじ映画」ととられそうだが、リドリー・スコット監督が「それだけ」にしていない。ストーリーを語り、キャラをきっちり見せ、火星のハブや宇宙線などのガジェットも魅力的に見せていく。さすがの手腕だ。
ぜひ映画館の大スクリーンで火星の風景を楽しんでほしい。
映画で省かれた部分に興味があったら、ぜひ原作『火星の人』を。映画を観た後でも絶対に楽しめると思う。
映画ではほとんどわからないアレス計画の詳細も書かれているので、ラストの救出ミッションがさらによく理解できるだろう。背景や技術を詳しく知れば知るほど胸熱のシーンなので、ぜひオススメしたい。
そう考えれば、独立した映画としても楽しめ原作を読んでもさらに楽しめる、原作との理想的な関係を持った映画なのかもしれない。
私も再読したくなって、本棚の「私的殿堂小説」ブロックから『火星の人』を取り出してみた。
帯を見ると、
赤い惑星で展開される『ゼログラビティ』のリアル
と書かれていた。
そんな時期だったんだな、と思いにふける私であった。
最後に、現在の文庫版の表紙を並べておきます。上下巻になって映画のスチルが使われている。
■火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)