横浜 社会・経済

スーダンで活動する医師川原尚行氏『土のレンガの診療所プロジェクト』講演会に行ってきた

更新日:

川原尚行氏講演会
 北アフリカの国スーダン。エジプトの南側にありナイル川の上流に位置する。名前くらいは聞いたことがあるだろう。
 イギリスの分割統治で南北に分断され、独立運動から南北間の内戦、軍部による革命政権、アフリカの一つの典型とも言える歴史を持つ国が、さらなる苛酷な運命を背負ったのが、イスラム過激組織アルカイダによる1993年のニューヨーク爆破テロだ。
 アルカイダのリーダーであるオサマ・ヴィン・ラディンが、サウジアラビアを国外追放された後に滞在し、アルカイダの組織育成を行ったと言われたのがスーダンだった。湾岸戦争の際、イラク側についたためただでさえ国際関係が悪化していたところに、アルカイダが絡むとなればアメリカを一西欧諸国は黙っていない。1993年に「テロ支援国家」と指定されるや、西欧諸国からの経済支援も絶たれた。
 そんなスーダンの地に、国境なき医師団のような国際的NGOに属さず、政府からの支援もなく、一介の民間医師として「医」療活動を行ってきたのが川原尚行さんである(なぜ医がカギ括弧付きかは、後で述べる)。NHKの『ザ・プロフェッショナル』にも「アフリカの大地、志で駆ける 医取」として取り上げられたことのある傑物だ。
 2月9日、横浜開港記念会館で、講演会『土のレンガの診療所プロジェクト~横浜のチカラでスーダンに診療所を建てよう!!』(主催:横浜中央市場ライオンズクラブ)が開催されたので、さっそく行ってきた。

なぜスーダンだったのか?

 川原さんは、もともと九州大学に医療に携わる外科医だった。
 1998年、外務省の医務官としてタンザニアの地を踏む。この時は、期間限定の契約だったが、アフリカの地での医療活動に思うところあり、正式に外務省に移籍し、2002年には運命のスーダンに入る。
 南スーダンの独立運動に端を発した内戦、病気、貧困。そんなマイナスイメージをもって赴任してみると、そんな中でも現地の人々はみなつつましやかに、真摯に生活していた。
 もちろん医療面では不十分もいいところで、川原さんの出番はいくらでもあるという状況だった。しかし、日本も西欧諸国と足並みを揃えて経済制裁に参加していたため、一等書記官という日本大使館の一員である川原さんの医療活動にも制限が課せられた。患者を診るだけで支援していることになるからだ。
 そこで2005年、川原さんは外務省を辞職を決意する。スーダンで、一人の民間の医師として活動するために。
 壇上の川原さんは、笑いながら、時にジョークを飛ばしながら、10余年の活動を語ったが、並大抵の苦労ではなかったろう。質疑応答では、辞めようと思ったことはないが「挫折と苦悩の連続だった」と本音をもらしていた。
 そこを語るのは、一度講演を聴いただけの私には役不足だろう。著書を紹介するにとどめておく。
■行くぞ!ロシナンテス 日本発 国際医療NGOの挑戦

 「ロシナンテス」は川原さんを支援するNPO法人(画像をクリックすると公式サイトに飛びます。facebookはhttps://www.facebook.com/rocinantes.japan/)。
NPO法人ロシナンテス
 NPO法人の名前「ロシナンテ」とは、もともとはセルバンテスの小説『ドン・キホーテ』に登場する、主人公ドン・キホーテが乗るロバの名前。川原さんは風車を巨人と見て、全力で立ち向かうドン・キホーテの勇姿を自分に重ねているに違いない。

医が「」付きの理由

 川原さんは「医」にカギ括弧を付けている理由をこう説明する。
「スーダンの医療は、患者を診るだけでは終わらない。インフラや、教育や、生活まで、幅広く関わっていく。その広がりを含めて『医』と言っている」
 当初は都市部の病院で外科医として活動していた川原さんだが、不足する医師、医薬品、患者を支援するインフラ、そのあまりの不足を何とかできないかと無医地区を巡回するようになる。
 だが、国土はあまりに広く、川原さんだけの活動にも限界があった。
 そこで、川原さんは次第にインフラの部分にも足を踏み入れていく。
 一つは「病の背景」を知ること。医療がいきとどかないなら、予防が重要ではないかと考えていくと、清潔な水の確保に突き当たった。
 そこで、川原さんは、井戸掘りの支援も始める。今は、井戸掘りを進めながらも、活動を加速するため、もっと手軽に安価に浄化する方法を模索しているという。
 次に、「地域の医療人」を育てること。川原さんは、巡回する村落の女性を、助産師に育成する活動を始めた。
 地域のおかあさんを、家々から引っ張り出すのにも苦労したというが、実際に現地の人々の暮らしに入り込んで活動する川原さんへの信頼と地道な説得がこれを解決する。その延長で、学校の設立など女性教育への支援も始まった。
 確かに、この10年の川原さんの活動は「医療」という枠を越えている。この活動への自負が「医」に繋がっているのだろう。
 川原さんは講演の最後を「ハチドリのひとしずく」という話でしめくくった。『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』という本で紹介された、ボランティアに関わる人の中では有名な話である。
 動物たちの住む森が火事になった。動物たちはみな逃げ出したが、ハチドリだけはその小さなくちばしの中に水をためて、そのしずくで火を消そうとしている。動物たちは「そんな少ない水で火が消せるわけないじゃないか。無駄だよ」と口々に言った。ハチドリは答える。
 「今、やれることをやっているだけだよ」

土とレンガの診療所プロジェクトと横浜の関係とは

 今回の講演は、川原さんとロシナンテスが進めている「土のレンガの診療所プロジェクト」の告知も兼ねている。
 同プロジェクトのホームページから趣旨を引用する。

 無医村に「医」を届けたい。その想いで走り続けて10年が経ちました。現在、ロシナンテスは、3つの地域で巡回診療を行っています。"巡回"といっても、村民が受診できる機会は1ヶ月に1度しかありません。そこで、この3つの地域に1つずつ、3つの診療所を建てることにしました。そのための建設資金をみなさまにご支援いただければ、と存じます。
スーダンの建造物は、土とレンガでつくられます。みなさまからご出資いただいたお金は、レンガとして一つひとつ積み重ねていきます。

 基金への参加を募集中である。興味のある方は、NPO法人のホームページ「土のレンガの診療所プロジェクト」まで。
土とレンガの診療所プロジェクト

 この講演会のタイトルには「横浜のチカラでスーダンに診療所を建てよう」というメッセージがついている。
 このタイトルに込めた想いを、発起人でもありパネリストとしても参加した坪倉良和さん(金一グループ代表・横浜中央市場ライオンズクラブ会長)は壇上でこう語った。
「横浜は国際都市と言われているけれど、このところ大人しい。もっと外に向かって仕掛けていくべき、とかねがね思っていた。スーダンでの診療所プロジェクトは、小さい一歩かもしれないが、余計なことは考えないで、とにかく横浜の人の力で何事かを成し遂げたい。こちらから送り出せば、きっと何かが帰ってくるだろう。それを、また次につなげていく。横浜らしい外交のかたちを生み出していきたい」
 この講演会には、東芝ラグビー部ブレイブルーバスに所属するラグビー選手で日本代表、廣瀬俊朗さんも登場。実経験に基づいて、世界に立ち向かう上での姿勢や考え方を語り、川原さんと横浜の活動にエールを送った。
 スーダンの、そして横浜の未来に繋がる一歩が、ジャックの塔で知られる歴史ある施設「開港記念会館」で開催されたというのはとても象徴的である。
 私も横浜市民として、この活動の今後を見守っていきたいと思った。

 発起人の坪倉さんは、横浜中央市場のfacebook「横浜市中央卸売市場 本場」を運営している。市場に上がった魚の情報が楽しい。魚好きの方は一見の価値あり。

横浜中央市場 本場

  • この記事を書いた人
小牧 克己

komaki

リキマルタイムス世話人。プロデューサー、編集者、ライター。ゲーム業界が長く、現在もゲーム事業やキャラクター事業周辺が主な活動範囲。

-横浜, 社会・経済
-,

Copyright© リキラボタイムス , 2018 All Rights Reserved.